ノンデュアリティのお話会でよく聞いたたとえが
「スクリーンに映っているのが人生でそれを見ている私」(ワタシもいないんだけど)。
ここ数日
映画もしくは映画を見ていて、しかもハラハラドキドキの映画。
ピンチあり悲喜こもごもの波乱万丈の主人公を演じているのが自分。
その映画を見ている自分。
ミッションインポシブルの映画を見ている時は
敵か味方か分からない、次に何が起こるかわからない
ドキドキしている。
誰か表れればドキッとする。
音が変わればドキッとする。
その時の感情や感覚。
でも映画だから最後は大丈夫って分かりながら見ている。
その3時間なりを
演出たっぷりのストーリードラマを楽しんでいる、安心して。
だってOKな終わりがあるから。
最近、スクリーンの話が実感としてとらえられている。
前にもその感覚はあったこともあるけれど
本当に時々。
今は自分が生きているこの世界が
ドラマ。その主人公が私なんだ、と俯瞰する割合が増えた。
ここ7月に入って今から1週間ぐらい前からかな
あるドラマを見てその感覚を強くした。
そのドラマは NHK BS のエンジェル フライト。
https://youtu.be/AUG1dxHUZYk?si=Zpu38AozeWmdpqcm
海外で亡くなった人のご遺体を家族の元へ届ける国際霊柩送還士を取り巻くドラマ。
勘当された亡くなった青年の母親と父親の関係。
最後は(亡くなっているけれど)わだかまりが溶けて
息子に対して涙を流す父親と母親。
そこに至るドラマに感情移入。
そして最後ほっとした。
「なんでドラマ(作り話)に感情がこんなに動いているの?」
「ああ、現実もドラマのようなもんなんだな」
と感じたら
世界にいる自分がドラマの中にいる感覚が一気に強まった。
この感覚はすぐなくなったりまた思い出したり。
でもそのドラマの中にいる感覚の方が少しずつ長くなっている、